運営者情報/プロフィール

はじめまして。

当WEBサイト「パニック障害改善LABO」の運営者であり、パニック障害専門心理カウンセラーの三木ヒロシと申します。

この「パニック障害改善LABO」というWEBサイトは“パニック障害”という心の病に特化した、パニック障害の基礎知識から完治・改善までの道筋など、様々な内容を掲載している、いわば参考書とも言えるものです。

パニック障害でいま現在、苦しくてつらい思いをしている人がひとりでも多くこの「パニック障害改善LABO」に訪れて欲しい。

そして、確かなヒントを手に入れ、パニック障害の無い未来へ歩んでいって欲しいという願いから、この「パニック障害改善LABO」を立ち上げました。

なぜ?私がそのような願いを持っているかというと・・・・・

実は過去、家の中、プライベートでの外出中、出勤途中と3度にわたり急なパニック発作を起こし、身体を動かせない状態を経験したことがあるから。

あの想像を超える苦しみやつらさを誰にも味わってほしくない、という理由からなんですね。

いまでこそ「パニック障害専門心理カウンセラー」という肩書ですが、心理カウンセラーになる前は一般の人であり、パニック発作を経験した人間です。

ここからは少し、私の過去の話をさせてください。

20代前半から30代前半にかけて、私はある人材派遣会社のサラリーマンをしていました。

ですが在職中、度重なるプレシャーやストレス、積み上げた過労のため社内で倒れてしまい、都内の病院へ救急搬送されました。

ちょうど人材派遣会社が伸び盛りの頃だったので、朝も夜も無いほど忙しさだけは他業種の三倍近くあったのではないでしょうか。

・毎日朝5:30には会社に出社、帰宅は早くて23時過ぎ、遅いと深夜2時ということも

・仕事が遅くなると帰る気力が無いので会社に寝袋を持ち込んで泊りこみ

・休日は2週間に一度あるかないかであり、たまの休日も疲れ過ぎでただ寝るだけ

・コンプライアンスなど無く上司からのパワハラは当たり前。「営業成績上げられない奴はそこから飛び降りろ!!」など日常茶飯事

・食事の時間は不規則、自然と外食が多くなるので体重が10キロ増加

・寝る時間も休む時間もなかなか取れず、免疫が下がり風邪が2か月くらい治らないほどの不健康に

・常に目は充血、顔色は悪く、派遣スタッフからも心配の声多数



・・・・いまちょっと思い出しても気持ちが暗くなるような、そんなサラリーマン時代を過ごしていました。

このような生活が何年も続くわけがなく(それでも5~6年はやってました)、過労+ストレスのため救急車で搬送されたんですね。

いまもちょっと覚えていますが、運ばれる救急車のなかで、

「倒れるまで無理をして、いったい何のために仕事をしているんだ・・・・」

こんな思いが溢れだし、いまのこの働いている状況はおかしいと、そのときはじめて疑問を持ちました。

その後、数日間は自宅療養のため数年ぶりにゆっくり過ごすことができましたが、たまたま目に入った新聞記事で「心理カウンセラー」という職業の特集をしていました。

学生の頃から心理学や心とはなにか?など強い興味があったので、その記事を夢中で読んでいる自分がいました。

読み終わったあと、漠然とですが確かに強く、



「心理カウンセラーになりたい」



という思いがセットされていました。



それから数日後、自宅療養が終わり会社に復帰しましたが心理カウンセラーへの思いは依然強く、会社に復帰後わずか2日ほどで退職届を提出していたんですね。



紆余曲折あり退職までの道は困難を極めましたが、なんとか10か月後、退職希望が受理され、そこから心理カウンセラーになるべく新たな一歩を歩み始めました。

【 心理カウンセラー三木ヒロシ 】としての人生がスタートした瞬間です。

【プロフィール年表】

0才 大型トラック運転手の父親と専業主婦の母親との間、神奈川県川崎市に生まれる。10才上の姉、8才上の兄がおり末っ子。

3才 父親の仕事の同僚と母親の不倫が発覚し、結果母親が家を出ていくことに。親権を父親が勝ち取り、新たに4人での生活が始まる。

4才 仕事で父親の帰りは遅く、姉も兄も勉強や遊びで忙しく幼いながら一人ぼっちが多くなる。強い心細さと不安感から三輪車に乗り約4キロ離れた親戚の元に記憶を頼りに向かう。親戚はとても大変驚いたが温かく迎え入れてくれ窮地を脱する。その後も数回三輪車で親戚宅に向かった記憶あり。

7才 小学校に入学。入学して間もないので友達もできず、寂しさや孤独感が増してしまい学校内で何度か泣いてしまう。徐々に環境に慣れてきたがもともと引っ込み思案な性格のため最小限の友達ができる。

8才 小学2年生になった頃、少し離れた同じ川崎市内の市営団地に引っ越す。友達も増え楽しく遊び毎日を過ごす。成長期でありご飯やお菓子をたくさん食べた結果、ちょっとした肥満児となる。

13才 地元の中学校に入学。ある日仲良くしていた同じ市営団地の友達が6人制バレーボール部に入部することを聞き、入部を即決。バレーボール部は練習や指導がかなり厳しく、入部初日に頭を丸刈りにされる。

14才 バレーボール部を辞めることはなくひたすら厳しい練習に耐えていった結果、身体は引き締まりスポーツ選手体形となる。部活において上下関係や言葉遣い、礼儀などを学ぶ。

15才 部活で忙しい日々を過ごしてきたが中学3年生になっても努力の甲斐なくレギュラーにはなれず。だが普段の練習の姿勢が評価され7番目の選手として祈念にユニフォームをもらう。部活中心で来たため勉強もろくにしておらず、高校進学は前途多難を極める。

16才 川崎市立の公立高校に合格、高校生としての生活がスタートする。その高校もある程度バレーボール部が強かったため、気持ちを新たに入部を決意する。人数が少なかったためいきなりユニフォームを渡され補欠としていくつかの試合に出場する。

18才 部活を引退し進学か就職か?という進路について考える。この辺りから社会に縛られることに違和感を覚え、担当教師には色々言われたが進学も就職をせずフリーターという道を選ぶ。

19才 後々サラリーマンとして所属することになる派遣会社に登録し、倉庫内作業員としてアルバイト勤務し社会人1年目を迎える。社会人としてのルールや厳しさ、お金を得る大変さを学ぶ。

23才 派遣登録していた会社の部長から勤務態度など評価され、社員として働かないか?というお誘いを受け、そのまま社員への誘いを受ける。アルバイトとは全く違う責任ある仕事を任され、その後も違う倉庫に異動し様々な業務に従事。

29才 部署異動となりこれまでの倉庫を離れ都内の営業所に所長代理として栄転。作業着からスーツ姿となり新しい毎日を過ごす。徐々に任される業務も責任あるものとなり、プレッシャーを感じながらも日々の忙しさに忙殺される。

32才 朝は5時くらいから夜は22時、ひどい時は深夜の1時過ぎまで仕事をこなす。これまでの忙しさが災いし、とうとう会社内で倒れ救急車で緊急搬送される事態に。救急車で運ばれながら自分の人生について初めて深く考えた末、退職願いを提出する。

33才 退職願いがようやく受理される。その後望んでいた心理カウンセラー養成の専門学校に入学。気持ちを新たに座学や実践形式にて心理カウンセラーを学ぶ。

34才 在学中、ある日家にいるとき何とも言えない不安感と怖さで過呼吸状態となり、家から転がるように外に飛び出す。肩で息をしながら何が起きたかまったくわからないパニック状態となる。後にこの状態がパニック発作であったと理解する。

36才 約2年と半年学んだ専門学校を卒業。これからの未来に胸を膨らませながら生活している最中、ある日突然パニック発作が再発。しばらくは不安定な気持ちのまま日々を過ごすが、その後再発はなくパニック障害には陥らずに済む。

37才 カウンセリングオフィス「ハートウォーミングセラピー・スウィーニー」開業。プロの心理カウンセラーとして第一歩を踏み出す。

38才 過去の自身の経験からコンセプトを「パニック障害専門心理カウンセラー」へと変更し、パニック障害の専門家としてブログなど様々なメディアを運営していく。

40才 埼玉県4市合同の大規模な講演会に講師として招かれる。「会社経営と社員のメンタルヘルス」と題し講演会をおこない、約200名近い様々な経営者と繋がりを持つ。それ以降各地の大小様々な講演会に講師として招かれる。

42才 埼玉県のFMラジオ局に心理カウンセラーとして出演。心理カウンセラーのこと、心の病のこと、心理学など約20分間お話する機会をいただく。

43才 心の病やパニック障害についての講演会や講座などを提供する機会が増え、心理カウンセラーと並行して講師の活動も増える。

44才 都内にある大手企業からクレームに対するマネージャー研修の依頼を受け、心に傷を受けたときの気持ちの保ちかた、自分を癒す方法、心の仕組みなど約40名に講義する機会に恵まれる。その後同社にて社内専属カウンセラーとしての依頼を受ける。

48才 企業内カウンセラーの依頼が増え、あわせて研修依頼や講演依頼、セミナー依頼も増える。一般の方のカウンセリングの他、企業内のカウンセリング業務も平行していく。

51才 日々のカウンセリングはもちろん、様々な講演会や講座、研修会も精力的に実施。様々なメディア運営を通しさらにパニック障害の専門家として活動を深め専門性を高める。

以上、長々とお話しましたが、いまのところこれが私の年表です。

意外と思うかもしれませんが、私が初めてパニック発作を経験したのは期待と希望に胸を膨らませていた専門学校時代であり、過酷なサラリーマン時代ではありません。

サラリーマン時代、それはそれでうつ気味であり、とても不安定な精神状態だったと言えるでしょう。つらく苦しい年月を過ごしたサラリーマン時代ではなく、明るい未来を描いていた時期に起きたパニック発作。

ここからわかることは、たとえ苦しくても嬉しくても、何かしらのトリガー(引き金)によってパニック発作は起こり得る、ということです。

未来に希望を抱き、いかにいまが輝くステージであると思っていても、ちょっとしたトリガーにより不安に心奪われ、パニック発作は起きるのだと痛感しました。

いまはパニック発作を完全に克服し、ありがたいことに毎日カウンセリングに従事することが出来ています。

北は北海道から南は沖縄まで、ご希望あれば出張カウンセリングに伺い、ときには通訳を介し外国人のカウンセリングまでおこなっています。

また、それに平行して企業研修や各種の講座やセミナー、講演会など、企画運営に従事している毎日。

何の不安もなく躊躇もなく自分を止めるものもなく、自由自在にあらゆる都道府県に訪問しています。

いまこれをお読みいただいているあなたも、パニック障害特有の不安や怖さを解消し、完治や改善を手に入れることは可能です。

諦めず焦らず、ゆっくりでも確実に道を進み続けることでたどり着きたいゴール、たどり着きたい未来に行き着くことができます。

パニック発作のつらさ、苦しさを経験した私から、完治や改善を目指すあなたを心より応援しています。

心理カウンセラー三木ヒロシの役職/資格/キャラクター

役職:カウンセリングサービス オフィス・スウィーニー代表

《保有資格など》

・一般社団法人日本産業カウンセラー協会 認定産業カウンセラー
・敬愛カウンセラー学院認定 メンタルバランス・マネジメント
・大阪商工会議所認定 メンタルヘルス・マネジメント二種
・埼玉こころの育み活動団体ゆっくりのんびりの会 認定講師
・メンタルサポート活動団体エクステンド横浜 認定講師
・埼玉県、都内にて企業内専属カウンセラー

【生年月日】  1972年12月7日

【性別】    男性

【出身地】   神奈川県川崎市

【趣味】    読書、ネットサーフィン、散歩、料理、アーシング

【特技】    人の話を聴くこと、笑顔

【性格】    穏やかで朗らか、怒らない、人に気を使う

【好きなもの】 キレイな景色、新緑の匂い、男女問わず優しい人、お酒

【苦手なもの】 気が短い人、威張る人、タバコ、ホラー映画

【ストレス解消】好きな音楽を大音量で聞く、美味しいお酒を飲む、映画を観る

【カウンセラーになった理由】生き辛さを感じている人に、生まれてきた喜びを感じて欲しいという願いから

【座右の銘】  人はいつからでもどこからでも変わることができる

【家族構成】  妻が一人、子どもはおりません

【カウンセリングルームの所在地】

東京都府中市本町2-19-33 カーサ・デラエスペランザ303

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